海外レポート・フランク・ロイド・ライト編

フランク・ロイド・ライト Frank Lloyd Wright  ~アメリカを取材して~

アメリカでいちばん興味があったのは、偉大なる建築家フランク・ロイド・ライトです。彼の建築物はこれまで6回に渡り取材・見学をし、とうとうフランクロイドライト財団まで取材及び撮影許可権までもらいに行ったのが5年前のこと。 その後、数々の取材を重ね・多くの文献を読み自分なりにライトお宅になってみました。 ライトの取材を重ねてきて、建築の重さをしみてきたのも事実ですし、エコデザイン、エコ開発などと言う言葉にもぶつかりました。それ以来エコデザインの研究に日夜時間をすごすことになっています。この点についてはいずれ書籍の形で発表をしたいと思います。今回はわたしの日記風の記事にとどめるため、ごく簡単に紹介してみましょう。

● アメリカ先住民


アメリカ先住民のひとつテワ・プエブロ族の教育者グレゴリー・カジェットは、著書のなかでこう言っている。
「アメリカ先住民は、自分たちが住む地域の環境に積極的にはたらきかけることによって、その土地にあるものすべてに深く関与するようになった。そのはたらきかけが実を結ぶには、土地の精霊やそこに住むすべての生き物に対して謙遜の気持ちをもち、理解し、尊厳を尊重することが必要だと知っていた」。

彼らが受けついできた昔話や儀式、それに規則などは、その文化を担っている人々に、土地の詳しい知識を与えてきたのである。これらの知識はその場所の中から有機的に育つものである。詩人ゲーリー・スナイダーはそれをうまく表現している。

「みなさんは身近な人から、その人の来歴や、目に入る岩、小川、山、木々などにまつわる話を聞くでしょう。世界誕生の神話はみなさんにあの山がどのようにつくられ、あの半島がどのようにそこにできたかを教えてくれるでしょう」。 このような知識があれば、土地に漂う生命のいぶきを感知できるようになるし、場所をより充実させることができる。その知識とは、あなたが毎日出かけたときに出会う生き物や、あなたが飲む水、あなたが歩く小道など、身近なことに関する内容だ。みんなが共有する知識であり、一生をとおして次第に積み重ねられていく知識なのである。

アメリカ先住民のひとつテワ・プエブロ族の教育者グレゴリー・カジェットは、著書のなかでこう言っている。

「アメリカ先住民は、自分たちが住む地域の環境に積極的にはたらきかけることによって、その土地にあるものすべてに深く関与するようになった。そのはたらきかけが実を結ぶには、土地の精霊やそこに住むすべての生き物に対して謙遜の気持ちをもち、理解し、尊厳を尊重することが必要だと知っていた」。彼らが受けついできた昔話や儀式、それに規則などは、その文化を担っている人々に、土地の詳しい知識を与えてきたのである。

これらの知識はその場所の中から有機的に育つものである。

詩人ゲーリー・スナイダーはそれをうまく表現している。「みなさんは身近な人から、その人の来歴や、目に入る岩、小川、山、木々などにまつわる話を聞くでしょう。世界誕生の神話はみなさんにあの山がどのようにつくられ、あの半島がどのようにそこにできたかを教えてくれるでしょう」。 このような知識があれば、土地に漂う生命のいぶきを感知できるようになるし、場所をより充実させることができる。その知識とは、あなたが毎日出かけたときに出会う生き物や、あなたが飲む水、あなたが歩く小道など、身近なことに関する内容だ。みんなが共有する知識であり、一生をとおして次第に積み重ねられていく知識なのである。

● 環境建築へ


1970年代のエネルギー危機までは、環境に対して建物がどう影響するのか、建築家たちは何の知識ももたずに仕事をしてきた。こうした影響はわからなかったのである。一般的な建築学の考え方では、建築とは内部の生活プロセスはもたず、もっと大きな環境との真剣な交流もない、抽象的で固定的な型だと考えられていたからである。建築材料を加工・輸送するために必要なエネルギーや、建物の気候への対応などを考えることは論外だった。当然、それらの要因は設計過程でどんな役割も果たさなかった。そしてそこに内在する考え方は、いびつなほど能率の悪い建物の形で表れた。

太陽はどのように空を移動するのかも知らず、建物に使われるエネルギーや資源の知識もなく、何ひとつ建設することもなく、環境科学のコースさえとらない……今でも多くの大学では、残念ながらこの状態で建築学の修士号を得ることができる。これは建築という職業にとって、何が正当な知識とみなされているかを示している。合衆国のエネルギー消費の40%もの量はビル建築や材料、そして維持管理に費やされているのだが、その理由もわかろうというものだ。この傾向は今でも続いている。しかし最近のAIA(アメリカ建築家協会)や、大勢の献身的な建築家たちは、もっと環境を考えた建築を意識する方向で努力している。

たとえば最近のコロクストン・コラボレイティブによるニューヨークのオデュボーン・ビルの修復では、よく考えられた環境基準が設計プロセスをかたちづくっていた。建設の過程でできるだけ多くの建材を回収すること、それ自身容易にリサイクルしやすいようにビル修復のデザインをすること、最大限の自然採光と、パッシブ・ソーラーによる暖房の最大限利用、塗料や仕上げ塗料は無害なものを使用すること、そして建物の命が続く限り義務用品のリサイクルも容易にできること、などが試みられた。柔軟に、そして創造的に使われたこれらの基準は、標準的な修復費用を数%上回るだけで、環境にやさしい建築を実現させることができた。

● 後世に影響を与えるフランク・ロイド・ライト


1959年にフランク・ロイド・ライトが亡くなった時、ライトによる建物が約50件現存しています。

それらは36の州と海外の2つの国にあります。ライトの死後、そのうちの20%は取り壊されてしまっています。カーラ・リンドは「ロスト・ライト」という本の序文でこう述べています。
「どうしてこうなったのだろう・・・」と私達は問います。

どうしてアメリカで最も有名な建築家であるフランク・ロイド・ライトの建物が破壊されてしまうのだろう?現実的に、多くの建物は滅びる運命にあります。しかし、それらの一部は他の建物より悲劇的だったりします。」ライトのような偉大な人のデザインは、建築家その人と、建物が建てられた社会を象徴しているという点で、特別な意味を持っています、とリンドは指摘しています。もちろん、ライト自身も次のように述べています。「建物には命があることを私は知っている。少なくとも、何らかの形をとっているので、この世に命があったこと、今あること、そして将来作られるという命の証しになるのです。」

ライトがデザインした建物の一部は天災によって無くなっています。31軒が火災、1軒が地震、1軒がハリケーンによって壊されたのです。しかし、建物の多くは人の手によるもの、もしくは人の手が足りなかった為に失われました。いくつかの建物は腐敗により、または保存活動基金が足らなかったことによるものです。他は、都市開発や改造されたりして失われました。


リンドや、歴史物の保存に感心がある人は、重要な建物の損失を避けるために必要なのは、世間の認識と、定期的な管理だと考えます。 「もし建物が重要で、使用価値があると認識され続ければ長く保存されるのです。」


幸運なことに、最近ではライトの建物が文化遺産であることの認識が高まってきているので過去15年間ではひとつの建物も壊されていません。ライトの建物の見学ツアーも人気が出てきています。1970年には2軒のライトの建物しか一般公開されていませんでした。今日では20軒以上あります。

加えて、ライトがデザインした、教会、学校、オフィス等を含む公共施設も、一般来館を歓迎しています。ライトによる建物への認識が高まったことで、歴史的な物の保存活動が盛んになっています。保存活動グループの組織構成と、保存活動の基金集めは、色々な形をとっています。

例えば、ウィスコンシン州にあるセス・ピーターソン・コテージなどは、関心のある個人が集まって保存、維持活動が行われています。

いくつかの団体が共同で、重要な建物の保存作業を行っています。例えば、ダーウィン・D・マーティンケはニューヨーク州立大学、州の公園・レクリエーション・歴史物保存管理局、マーティン家保存コーポレーションによって共同で所有、管理されているのです。

ナショナル・トラスト・フォア・ヒストリック・プリザベーションは、現在、非営利団体と共同で、ライトの建物を3軒所有し、一般公開プログラムの管理をしています(イリノイ州オークパークのライトの家とスタジオ、シカゴのロビー家、ヴァージニア州アレクサンドリアにあるポープ・ライリー家)。世界的な会社であるスティールケースIncは、「自分の会社のお客様である地域社会と社会一般への投資」ということで、ミシガン州クランドラピッズにあるメイヤー・メイ家を復元しました。

● ライトの挑戦


ライトの建物には思わぬチャレンジがあります。ライトは新しい建設技術を限界まで使い、新しい建築材料を使いました。例えば、彼の自宅のタリアセンとタリアセン・ウエストは、費用が限られていた為、安い材料と未熟な労働者を使って建てられたのです。ライトの建物のひとつひとつには別々のチャレンジがありました。1990年にタリアセン・プレザベーション・コミッションはフランク・ロイド・ライト・ファウンデーションと合併し、タリアセンの保存活動を行うことになりました。 タリアセンの土地は、他のライトの建物の保護プロジェクトより大きいのですが、問題点は似ているのです。

ライトの財団の方(写真)にいくつか質問をしてきましたので、その内2つほどを紹介しましょう。

Q. ライト氏の初期の作品の方が後期の作品より注目を集めているように思えるのですが、なぜ初期の頃が重要視されていると考えますか?

A. その通りですが、それは最近までのことです。ライト氏の初期作品は理解しやすく、伝統的な作品だったことが背景にあると思います。しかし、その傾向は変わってきていて、最近では後期の作品の方が興味を引き、研究されています。

Q. ライト氏の死後、人々はライト氏のことを非人間化するようになり、気高い天才と祭り上げ、人間より神のように思われています。ライト氏の性格を知れば知るほど彼が人間的であることがわかり、また彼の作品が著しく、素晴らしいものであることが言えると思うのですが、ライト氏はどんな人物だったのでしょうか?

A. 何よりも彼は人間性を尊重していました。彼の建築は王から農民、全ての人の人生に美しさをもたらすというアイデアに捧げています。ライト氏はインターナショナルなスタイルのような建築に対し、個々の尊厳を奪っていて非人間化している、と批判していました。

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